旧版 v0.1 Virtualな時間のコミュニケーション - 主観的現実のなめらかな間主観的共有を目指して
新版: Polymorphic Reality ー なめらかにつながる間主観的なメタバースへ向けて
TL;DR:
0. コミュニケーションのモデルについて
人間同士のコミュニケーションは、主観的現実の部分的な共有 & 共同編集として捉えられる
対面の会話, 手紙, チャット, Slack, Zoom, ニコニコ動画, Google Docs, VRChat, Cluster, etc.など様々なコミュニケーションを、この枠組みで捉えられる
共有している現実の要素はいろいろある
感覚、知覚、認知など、色々なレイヤーの要素がありえる
具体的な例
対面の会話
自分の周りの空間を共有している
音声を重ねたり、身体を使って("その")空間を編集する事で共同編集している
視覚等のセンスデータから空間を認識して、同じ
映画館
映画以外の視覚聴覚情報はシャットアウトされて、映像と音声を全員で共有している
急に映画館で叫んだりしない限り、その共有された現実の共同編集はできない
Slack
channelという現実を共有した上で、そこにメッセージを書き込む事で共同編集している
Google Docs
ドキュメントのページという現実を共有した上で、それを共同編集している
この主観的な現実の世界観は、現象学っぽい考え方だと思っている
現象学/現象学的社会学の文脈で言えば、現実の間主観性
1. 目指す「ゆるやかな主観的現実の共有」とは
コンピューターを介すコミュニケーションのあり方が発達してきている
メール, Slack, Zoom, メタバース, VRChat, Cluster etc...
窓のテクノロジーを通じて色々な情報をやり取り出来るようになっていいる
つまり、「コミュニケーションのあり方 = 現実の共有のあり方」のengineeringがしやすくなっている
ここで、「どのようなコミュニケーションのあり方を目指すべきか?」という問いが生まれる
「どのような主観的現実の共有のあり方を目指すべきか?」とも言い換えられる
目指せる方向の一つは、より「現実共有の程度」を高める方向
最強のVRデバイスを作って現実と見分けがつかないメタバースを作ろう、みたいな
ただ、これは従来の「客観的現実」のあり方に囚われた古い価値観では、と言いたい
「現実共有の程度」を高めるだけでなく、程度をより自由度高く制御できる方向を目指すべきでは
i.e. 「現実共有の程度」を高める手段だけでなく、低める手段も追求すべきなのでは
いろいろな要素それぞれで、共有度を高めたり低めたり出来るべきでは
完全に共有する or 全く共有しない の二元論から脱却し、より連続的なspectrumとして捉えたい
https://kakeru.app/72a106479e85e7ba7f79df2a48d7c7d9 https://i.kakeru.app/72a106479e85e7ba7f79df2a48d7c7d9.svg
今までは、左のように、「完全に共有」or「全く共有しない」な二元論の世界
このページで言いたいのが、右のような世界観
このことを「主観的現実のなめらかな共有」と呼びたい
inspired by なめらかな社会とその敵
2. なめらかな現実の共有の具体例
🍛「食事体験」のなめらかな共有
シチュエーション
「ご飯が食べれるメタバース」があったとして、Aさんはピザを食べたいけどBさんは中華が食べたいとする
AさんとBさんは二人でご飯に行きたい
このとき、
Aさんの目には「二人でピザをシェアしている」ように見えて、Bさんの目には「二人で中華をシェアしている」ように見えれば、二人ともハッピー
二人は「食べているもの」という現実の要素を共有していない
けど、二人とも「二人でご飯をシェアする」という体験は共有している!
💬「会話内容」のなめらかな共有
シチュエーション
二人で会話しているとする
AさんはXという形容詞をよく使いがちだけど、Bさんはその表現が苦手だっただったとする
このとき、
Aさんが発したXという言葉を、Bさんに届く前にフィルターしたり置き換えたりできれば、二人ともハッピー
チャットなりZoomなりでそういう事が実装出来るイメージが可能だと思う
📦「空間」のなめらかな共有
ここでいう「空間」は、人間の認識における空間の話(つまりバーチャル空間やZoomやspatial.chatの空間も含む)
「空間」のなめらかな共有は、一般的にMRと言わる概念に近いと思う
以下の「MR」の図は、「バーチャル空間」と「物理空間」のなめらかな共有を表している
https://gyazo.com/5fee2500312806d6550d47fd17058db9
この考え方を拡張して、「バーチャル空間A」と「バーチャル空間B」のなめらかな共有も考えられる
例えば、二人ともお互いの身体は見えているけど、背景の景色は自分の見たいものが見えている、みたいなVR体験
⏰「時間」のなめらかな共有
より複雑になるけど、この具体例が今の自分の一番の推しblu3mo.icon*3
タイトルで言っている「Virtualな時間のコミュニケーション」は、
今のほとんどのコミュニケーションは、「同期 = 完全に時間を共有」「非同期 = 全く時間を共有しない」の二元論
その間の連続的なspectrumをいろいろ模索できると思っている
擬似同期、弾性同期、バーチャルな時間軸の妄想
バーチャル時間の探究の関連ページにいろいろ書いてあるblu3mo.iconblu3mo.icon*2
具体的なapplicationとして考えているのが、ParallelTalk
音声による非ターン制コミュニケーション原案
Q. これは「ディストピア」では?
A. 定義次第ではあると思うけど、僕は「なめらかな共有」ができない世界よりはできる世界の方が「良い」と思っている
(選択肢が多い事が正義、という価値観)
「現実共有の程度」の制御の自由度が低い世界:
強く共有する or 全く共有しない の二択/二元論
いわゆるフィルターバブル現象はこの結果起きる
「現実共有の程度」の制御の自由度が高い世界:
なめらかに共有の程度を制御し、共有したい部分のみを共有する世界
これは、「人間同士がより繋がりたいように繋がれる」世界だと思う
結果的に人同士の繋がりも増えるのでは?(それは別に目的ではないけど)
倫理の議論をするならもっと具体的なレイヤーで話した方が良い気はする
以上がAbstract
のつもりだったけど、長くなりすぎた
-.icon
以下本文
(執筆中 2023/01/22現在)
0. コミュニケーションのモデルについて
人同士の信号の通信みたいにコミュニケーションを捉えるモデルがある
コミュニケーション理論
同じ世界に住んでいて、その上で信号を共有していると
ただ、それは客観的世界を前提としている。
主観のみを前提として、コミュニケーション時に共有されている間主観的体験を捉えたい
(この操作は、現象学において超越論的還元と言われるもの)
そう捉えると、コミュニケーションはその間主観的現実の共同編集であると言える
共有する「現実」は、色々な体験ものがありえる
感覚、知覚、認知など、色々なレイヤーの要素の共有がありえる
具体的な例
対面の会話
自分の周りの空間を共有している
音声を重ねたり、身体を使って("その")空間を編集する事で共同編集している
視覚等のセンスデータから空間を認識して、同じ
Slack
channelという現実を共有した上で、そこにメッセージを書き込む事で共同編集している
Google Docs
ドキュメントのページという現実を共有した上で、それを共同編集している
関連: 窓のテクノロジー
現象学/現象学的社会学の文脈で言えば、間主観性のある現実
https://kakeru.app/a5732aa947989f33f58c9c03e4df8cf8 https://i.kakeru.app/a5732aa947989f33f58c9c03e4df8cf8.svg https://kakeru.app/879a0911fb8533bc0df7e623a2313248 https://i.kakeru.app/879a0911fb8533bc0df7e623a2313248.svg
コンピューターを介す事でコミュニケーションの媒体が進化している
人間が現実と相互作用(interact)するインターフェースとしてのコンピューターが発達している
電話 -> Zoomオンライン会議 -> メタバースのような進化の系譜を考えると、現実をより完全に共有するような方向に進化している
例えば、感覚〜認識のレイヤーでは、以下のような具体例がある
入力デバイス:
キーボード -> GUI用マウス -> フルトラッキング
みたいな
出力デバイス:
視覚: 白黒テレビ -> ディスプレイ -> VRHMD
聴覚: スピーカー -> イヤホン/ヘッドホン → ノイキャン付きワイヤレス
あるいはもっと意味寄りのレイヤーでも同様のことが言える
人間がコンピューター上のソフトウェアを介して世界と相互作用するようになっている
Zoom、Twitter、Slack、ネットニュース、etc
これらは、Computer Mediated Communicationと言われるような話
目指すべき「良い」コミュニケーションの形は、完全な現実の共有ではなく、「ゆるやかな現実の共有」であると言いたい
「完全な現実の共有」: 100%現実を共有する状態
例えば、従来の現実と全く見分けがつかない"メタバース"が作れたら、それは完全に現実を共有していると言えると思う
しかし、
「ゆるやかな現実の共有」
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"共有される現実"の抽象度を高める作業であるとも言える
具体例1: 言語の抽象化・機械翻訳による部分的な言語の共有
Zoom Webinarの自動翻訳とか
音声の現実は共有していないが、より抽象的なレイヤーで言葉の意味という現実を共有している
具体例2: 時間の抽象化・バーチャルな時間体験による部分的な時間の共有
「時間」も、体験の要素の一部として捉えられる
二つ要素がある
物理時間のどこに位置するか
(物理学の時間の相対性はないものとする)
これが同期的かどうかの要素
体験の時間的順番と長さ
wip
=> 音声による非ターン制コミュニケーション原案
Git vs Google DOcs